河野弁護士対談
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2012年12月1日 木村達也弁護士 vs 河野聡対談
2012年12月1日 木村達也弁護士 vs 河野聡対談
 
「まなびの会創立20周年記念集会」にご出席頂いた、全国クレジット・サラ金問題対策協議会の代表幹事である木村達也弁護士(大阪弁護士会所属)と河野聡が対談しました。
1.クレサラ対協とクレサラ被害者の会による運動の歴史
   
河野 : 河野弁護士 私は1991年に独立してまもなくクレサラ運動に取り組むようになり、全国クレジット・サラ金問題対策協議会の活動に飛び込みました。
その当時は悪質なサラ金も多く、法的対抗手段について大いに学ばせていただきました。
そのような中で、私は、被害者運動と連携する形に感銘を受け、大分にも1992年にクレサラ被害者の会まなびの会を作ったのですが、消費者運動の中で、被害者運動と両輪で運動を成功させたのは、クレサラ運動が最初だったと思います。
木村先生は、どのようなお考えで、被害者運動と両輪の形を作られたのでしょうか。
   
木村 : それは、被害者は当事者であり、弁護士はどうしても代理人だから、当事者の運動のエネルギーを中心に据えなければ運動は力を得ることはできないという考えからでしたね。
弁護士も当事者の声が後ろになければ力が出ないということもあります。
   
河野: 確かに当事者の悲惨な状況について、当事者自身のうったえる力は強く、裁判所やマスコミに対しても影響を与えることができますね。
   
木村 : 当事者のうったえはストレートだから心を打つし、うったえられた相手方や行政も、その声を無視することはできませんからね。
   
   
2.被害者の会への貸金業界の妨害への反撃
   
河野 : 大分では貸金業協会がまなびの会を攻撃して私に対する懲戒申立をし、私が逆に貸金業協会に損害賠償訴訟を提起し、勝訴和解を勝ち取るという裁判がありました。この時は大変でしたが、毎回木村先生が大阪から駆けつけてくださったことで、何とか乗り切れました。この訴訟についてのご感想をお聞かせください。
   
木村 : 木村弁護士あの頃は貸金業者と被害者の会が一番激しくやり合っていた時代で、大分県貸金業協会とまなびの会とのたたかいは天王山ともいうべきものでした。そのような闘いで、まなびの会や河野弁護士を孤立させてはならないということで、全国からたくさんの人が支援しました。私も河野さんの尋問を担当させてもらいましたが、業者側の反対尋問などを聞いていても、まなびの会や河野さんが一人一人の救済を丁寧に誠実にやっていることが分かり、これは負けることはない、と確信しました。
   
河野: この事件を通じて、クレサラ被害者の会と弁護士の連携が、社会正義にかなうものであり、何ら問題とされるものではないことを明らかにできたことが大きな成果と思っています。全国貸金業協会連合会も背後に付いていて、二度と被害者の会の活動に介入しないという和解ができたことで、被害者運動が貸金業者によって妨害されないことが保障されたわけであり、その後の金利引き下げ運動の勝利の条件を作ったと自負しています。
   
木村 : そうですね。貸金業者側が、被害者の会と弁護士との関係を分断しようと画策したことにしっかりと反撃できたといえますね。
   
   
3.金利引き下げ運動の成功
   
河野 : 商工ローンとのたたかいを経て29.2%への金利引き下げが成り、その後アイフル・武富士問題などへの取り組み、クレサラ対協が先頭となった金利引き下げ運動などによって、2006年に20%への金利引き下げ、みなし弁済規定の廃止、総量規制などの法改正が実現しましたが、この運動成功の要因は何だったのでしょうか。
   
木村 : それまでの運動の積み重ねによって、全国各地にこの問題に取り組む運動が作り上げられていたということが大きかったと思います。
2006年には、1年間に全国で約200回の集会が開かれました。
私は、このような大きな問題を変えていくためには、中央だけの運動では駄目で、全国各地で運動を作って、中央に攻め上るというものでなければならないと思っています。
クレサラ運動はそれが出来たから成功したのです。
   
河野: 足下がしっかりしていなければ、変わらないということですね。
   
木村 : マスコミや国会議員なども、地方の運動によって啓発されて、全国的に風向きが変わってくるということがありますよね。
   
   
4.貧困問題に取り組む
   
河野 : 河野弁護士 木村弁護士このたたかいの途中であった2004年には、木村先生が、金利引き下げの後には生存権保障問題が必ず来ると言われ、人権大会で生活保護問題を取り上げ、日弁連に生活保護問題緊急対策委員会を作る取り組みをされ、私は事務局長を務めさせていただきました。
今振り返っても、時期的にも内容的にも的確な提唱だったと思うのですが、先生の運動に対するそのような敏感な感覚はどのようにして養われたのでしょうか。
   
木村 : そう言われると恥ずかしくなるけれど、現場で長く多重債務問題に取り組みながら、その背後に貧困問題があるということは、ずっと感じていました。
そして、金利引き下げ運動が一定の方向性が見えた段階で、早く貧困問題に取り組んでおかなければならないと考えたのです。
ちょうど良い時期に取り組み始めることができたと思います。
   
河野: 日弁連の貧困問題対策本部には、若い優秀な弁護士がたくさん集まっており、大きな力となっていますね。
   
木村 : 最初に日弁連多重債務部会のメンバーを多く送り込みましたが、運動をがんがんやっている連中が中心となって動かしていったことが良かったんでしょうね。
   
   
5.貧困問題の現状
   
河野 : 私は木村先生に付いて行き、現在も多重債務問題と貧困問題に取り組んでいますが、現在の生活保護に対するバッシング、税と社会保障の一体改革などの動きを見ると、運動的にかなり厳しい情勢にあるようにも思えます。
どうすれば、現在の状況を打開できるとお考えでしょうか。
   
木村 : クレサラ運動でも、借主責任論が長くあり、それを覆すには時間がかかりました。
生活保護問題等も、経済情勢もあって、自己責任論を背景としたバッシングには厳しいものがあります。
その意味で、生活保護問題もクレサラ問題と近いところがあります。
クレサラ運動でも、借主責任論か貸主責任論に転換させるのに30年かかりました。
このような問題で国民の意識を変え、社会が認知するまでには時間がかかります。正論を主張し、救うべき人を救いながら、じっくり運動をしていれば、いずれ必ず変わってきます。
   
河野: 確かに、最近では当事者の声も次第に表に出てくるようになりました。
   
木村 : 生活保護問題対策全国会議もよくやっていますね。
各地でもネットワークが広がっており、実績を上げていますから、もう少しすれば、情勢は一気に変わるのではないでしようか。
   
   
6.クレサラ対協運動の今後
   
河野 : 木村弁護士 まなびの会木村先生は30代でクレサラ対協を作り、現在まで事務局長としてクレサラ運動を引っ張って来られました。
今後のクレサラ対協の運動はどうあるべきだと思われますか。
   
木村 : 運動というのは止まると駄目なんです。前へ前へと進まなければ駄目なんです。
私は今、クレサラ対協の国際交流部会の活動を一生懸命取り組んでいます。それはクレサラの法規制や被害者救済のシステムは、現在世界でもトップレベルにありますが、これを一国だけのものにしておけば、常に攻撃にさらされるので、これを国際的なグローバルスタンダードにしてしまう必要があると考えて、韓国や台湾、さらには欧米の被害者運動と交流していく必要が高いと思っているのです。
今もなお、貸金業者側のネットワークが社会に根深く残っています。
その残ったエネルギーで反撃が繰り返しかけられています。
その息の根を止めるまで、運動が止まることはできないのです。
   
河野: そうすると、まだまだ木村先生も、クレサラ運動の先頭に立ってがんばっていただかなければなりませんね。
   
   
7.趣味など
   
河野 : 木村先生は、美術館巡り、温泉巡り、そして読書と健全な趣味を多数お持ちですが、このような趣味を持たれるようになった経緯は何でしょうか。
   
木村 : それは、全国を駆け巡ったからです。
全国に行っていると、ただ行って帰るだけではもったいないし、そこでリフレッシュしなければ緊張の連続の運動を続けて行くことはできないからです。
でも、そのおかげて、普通なら行けない美術館や温泉などに行くことができて感謝しています。
河野先生のおかげて、大分のすばらしい温泉にもいろいろと行かせていただきました。
   
河野: 私も、木村先生を見ならって健全な趣味を増やしていくようにしたいと思います。今後もどうかよろしくお願いします。今日はありがとうございました。
   
木村 : ありがとうございました。
   
   
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弁護士法人 おおいた市民総合法律事務所