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おおいた市民総合法律事務所の歩み
  2.労働基準監督署の前に引っ越して
 
独立開業当初は、大分労働基準監督署の向かい側にあった「城崎法務ビル」の401号室の14坪の事務所で、事務員1名でスタートしました。
当初は大分共同法律事務所から持って来た事件と国選の刑事事件、そしてその頃増え始めた自己破産事件だけで事務所を維持していましたが、不思議なもので、どこからか事件は舞い込んで来て、 毎月何とか借金だけはせずに済んでいました。
労働基準監督署の向かい側に引っ越して来たからというわけではありませんが、その頃特に問題となっていた「過労死」の問題には精力的に取り組みました。 「大分労災・過労死110番」を設立して事務局長となりました(団長は日田の柴田圭一弁護士です)。
郵便局で清掃作業をしていた女性が転倒して硬膜下血腫で死亡した事件で初めて労災認定を勝ち取った時の喜びは 今でもよく覚えています。また銀行員の過労死事件でも調査のうえ医師の意見書を得て提出し、労災認定を受けることができました。しかし、農薬輸入会社の営業社員が鳥取出張中にくも膜下出血で死亡した事件では、 社員の足取りを追って鳥取に調査にも行き、数次に亘る意見書を提出したにもかかわらず、過労死の認定が受けられず、大変悔しい思いをしました。 その後は労働行政の硬直化の影響で過労死の労災認定がなかなか得られなくなり、日赤の看護婦の脳血栓による死亡の事件では、職場の組合と定期的な対策会議を開いて再三、労基署や労基局との交渉に臨みましたが 結局認定を受けられず、現在中央労働保険審査会に係属しています。
何とか労働行政を転換させ、働いた結果健康を害した人たちが、正当な補償を受けられるように改めさせていきたいと願っています
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弁護士法人 おおいた市民総合法律事務所