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おおいた法曹界見聞録(弁護士河野聡の意見)
「鉄槌!裁判所にショック療法」
 
裁判をもっと分かりやすいものにしたい。裁判所を、もっと市民に身近なものにしたい。そのためには、裁判所の犖威瓩鬟屮漸し、裁判を市民の手に明け渡さなければならない……。 私はいつもそんなことを考えながら「弁護士」という仕事している。
鉄槌!裁判所にショック療法
だいたい今の日本の裁判は、市民にとって分かりにくすぎる。法廷でも弁護士同士のワケの分からない難しい言葉がとびかって、普通の人はとうてい理解できない。弁護士に頼まないで、自分で裁判をやりとおすことなど、ほとんど不可能に近い。さらに、裁判所は普通の市民に対して非常に冷たい。書類などでも、分かりやすい言葉で説明する努力が完全に不足している。
 
しかも、市民のナマの声を聞こうとしない。裁判所からいきなり「訴状」が送られて来たので、指定された「期日」にとりあえず出て行って自分の主張を述べようとすると、裁判官から「今ここでいろいろ説明されても困る。『答弁書』に自分の主張をまとめて書面で提出してください」と言われてしまう。書面でちゃんと反論が書けるくらいなら、苦労はしないのである。
 
このような裁判所の不親切の背景には犖威主義瓩ある。日本の裁判所は、権威がなければ、裁判ができないと思い込んでいる所である。無機的な建物の中に、殺風景な法廷。一段高い壇の上に裁判官席を作り、黒い衣装をまとった裁判官がおごそかに入ってくると、職員が「起立、礼」と声をかける……。こんな犒措悪瓩鮓綫限膸に守っているのである。
   
そして法廷の秩序を乱す者に対して、裁判所は急に高圧的になる。傍聴席で帽子をかぶっていた女性に、裁判官が「室内では帽子を取るように!」と命じたという滑稽な事件もあった。裁判官は多かれ少なかれ、「法廷は自分の城なのだ」という感覚で牋匕靴△覘疔…遒留娠弔鬚瓩兇靴討い襦
 
こんな法廷では、普通の市民は萎縮してしまって、言いたいことも言えず、何か説明しても聞いてもらえないのではないかと思って黙り込んでしまう。人々は裁判所から遠ざかり、何かあっても、裁判所に持ち出すことをためらってしまうのである。
 
裁判所も、最近は「開かれた裁判所」のイメージ作り狙って、「ラウンドテーブル」という、丸い机を真ん中に置いた法廷を各地に作っている。高い雛壇はなく、楕円形のテーブルのまわりに、裁判官も弁護士も当事者も座るようになっている。こうすれば、当事者にも威圧感がなくて、言いたいことが言いやすくなるということで、ドイツの法廷のマネをしたのである。
 
ところが、この「ラウンドテーブル法廷」は証人尋問など、本来の訴訟手続にはあまり使われない。使うのは和解の話し合いの場合とか、裁判の前の「仮処分」という非公開の手続きのときぐらいである。これでは税金のムダ使いである。
 
分かりやすい裁判、市民に身近な裁判の現実を妨げているのは裁判所だけではない。実は「弁護士」も同罪である。
 
弁護士の中には、裁判所が市民に分かりにくければ分かりにくいほど、自分たちの存在価値が高まると考える者が多い。普通の市民が気軽に裁判をできるようになれば、自分たちはメシが食えなくなると考えるのである。だから平気で難しい言葉を使って依頼者をケムに巻く。
 
そこまで行かないまでも、弁護士は事件を依頼してきた当事者に、事件の処理についてあまり口出しされることは嫌う。職人気質といえば聞こえは良いが、結局「素人は黙っていろ!」という態度である。まして、当事者が弁護士を差しおいて法廷で意見を述べるなどということは、まずさせない。そんなことをさせれば、自らの威厳にかかわると思うのである。
 
結局、弁護士も裁判所の権威という後ろ盾を頼りに、自らの存在を保っているのである。弁護士も最近「司法改革」問題には積極的に取り組んでいるけれど、こういう状態なので、弁護士の力だけで司法を変えることは無理と言わざるを得ない。
 
そうなってくると、裁判を分かりやすくし、裁判所を市民に身近なものにするのは、市民自らの手による以外にはないことになる。市民が裁判所の権威などモノともせずに、裁判所に乗り込んで行って、どんどん発言し、庶民感覚からしておかしなことには「おかしい」という声を上げていくことが大切である。
 
福岡で拘置されている人にTシャツの差し入れをしたのを拒否されたことから、拘置所の所長を相手に差し入れを求めている「Tシャツ訴訟」という裁判が扱われている。この裁判の中で、原告が裁判官に意見を言おうとしたところ、裁判官から「原告は名前を言ってから発言しなさい」と言われたので、その原告は「普通、人に名前を聞くときは自分の名前を先に言うものです。裁判官から先に名前を言ってください」と切り返し、結局裁判官に名前を言わせたというこがあった。また、この裁判の原告は、殺風景な法廷にうるおいが欲しいと考えて、原告席に花を飾ったが、裁判長は何も言えなかったという。
 
黒い服を着ているだけで偉くなったような気がしている裁判官に対しては、かなりキツいショック療法も必要である。ひのように市民感覚を少しずつでも法廷に持ち込んでいくことが、市民のための裁判の実現につながるのである。
 
今、市民感覚を裁判に持ち込もうという試みとして、「裁判ウォッチング」運動が全国に広がっており、東京、大阪、福岡をはじめ19ヶ所で「裁判ウォッチングの会」が作られている。大分にも「裁判ウォッチングの会・おおいた」というのがあり、毎月1回「傍聴情報」を発行して、みんなで法廷の傍聴に出かけている。別に大それた目的があるわけではなく、市民が気軽に裁判所に足を運べるように、きっかけを作る会なのである。
 
裁判所は「ウォッチングの会」の傍聴に対してなぜか非常に精神過敏になっており、わざわざ「あらかじめ連絡してください」などと言ってくるが、そんなことは気にせず、神出鬼没で裁判所をウォッチングし、純粋培養の裁判官や弁護士に、ビシバシ厳しい意見をぶつけていってほしいものである。
 
弁護士の中にも「裁判ウォッチング」が急に法廷に来ると、自分の依頼者や証人が言いたいこと言えなくなって困るなどと平気でいう者がいる。信じられないことに、自分の裁判を多くの人に見られたくないと思う弁護士が意外に多いのである。
 
そんな弁護士は、どこかの独裁国の秘密軍事法廷で、国選弁護人でもやっていればよいと思ってしまう。多くの傍聴人に見られることが、自分自身の弁護活動を自己反省する機会になると受け取るくらいの謙虚な姿勢をもってよいのではないか。裁判所への扉を弁護士が閉ざしていたのでは、弁護士も市民から見放されることになってしまうだろう。
 
掲載 : 月刊アドバンス大分 1995.10
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弁護士法人 おおいた市民総合法律事務所